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茶雅丸

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1,697件のレビューが登録されています。
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妻、小学生になる。 Vol.1

5点 2022-10-01
しんだはずの妻が小学生になる奇跡の家族再生ドラマ。


主演の子役が鰐淵晴子の再来とも言われている。
NHK連続テレビ小説「おちょやん」では女優・浪花千栄子の子供時代を演じた。朝ドラは「スカーレット」でも一部出演していたようだが未見。

大人の女優が相手でも引け目をとらない貫禄の芝居。多面的表情の作り込みがプロレベル。毎田暖乃(のの)は弱冠10歳である。

ドラマ化に際しては200名のオーディション候補者がいたが1人も適役がおらず苦戦していた。書類審査を含めると総勢300名を超える(多すぎて定かではないという)候補者を探し求めたがそれも挫折したようで、遂には選考の審査枠を中学生から二十代後半まで拡げたというが、結局だれも該当者がいなかった。原作のコミックに基づく10歳の小学生妻という役柄の設定はそもそも実写ドラマ化が可能なのかという根本的な疑惑が生じていたという。そこで当時「おちょやん」や「しゃべくり007」に出演していた毎田に白羽の矢が立てられ2年がかりで口説き落としてオーディションに加えたところ、(その場にいた候補者たちも)万場一致でこの子しかいないという雰囲気のなかで審査合格の運びになったという。

ドラマの内容については、七話のクライマックスがいい。まるで多重人格障害のような驚くべき人格チェンジであった。だけど八話以降は失敗シーンもある。ちょっと変身を急いだ感じで段取りじみた大げさな芝居になってしまった。脚本が詰め込み過ぎなのとテンポがよくなかった。しかしそれを補うほどの出来栄えで連続ドラマの話の先が気になり待ち遠しい。こんな機会は久しぶりである。

石田ゆり子にバトンタッチすると石田のほうが優しさが「安定」していることが判る。やはり子役とはキャリアが違うという気もした。

しかしながら由紀さおりと貴恵。石田ゆり子と万理華の共演シーンでは、毎田は一人二人役の難役でありながらも完全に五分五分の演技で渡り合えるので、そこが天才であるとして絶賛された。



九話をみていて気づくことは、娘役である蒔田という女優も相当な実力派であったことが知れて、母親を失って沈み込む地味子と小学生妻に励まされて本来の明るい調子を取り戻した普通の女子を演じ分けていたんだな、ということだった。

雑誌のインタビュー記事で蒔田が語ったところによると、子役の毎田は「わたしよりもしっかりしている」とのことだった。
とはいえ、このひとは七歳で自分も子役デビューしており、数々の優秀賞を受賞している。とくに報知映画賞では助演女優賞であるが、新人賞から二年で二冠連覇は史上最速で史上最年少だという。

最終回は、ドラマの陰の主役ともいえる「食」をふんだんに盛り込んだ家庭レストランと家庭菜園が舞台。



採点は驚きの星5つ制覇。

ただし何もかもパーフェクトではなく失敗シーンがある。採点上は「星4つでは不足」という解釈で受け止めてほしい。けれども4点と半分みたいなセコイ星のつけ方もどうかなと思ったので、そこは思い切って星5でいいのではないかと思う。

このドラマは、霊魂不滅説または魂仮説に基づいて「なりかわる(入れ替わる)」といったお馴染みのスタイルなのだが、妻が小学生になるというユーモア精神が垣間見えるほかに、ムズカシイことをいえば身内の者を突然亡くす「喪失体験」と呼ばれる厳しい心的な負担を再現してもいる。これは配偶者などを亡くすと誰の身においても起きることとして広く知られているが心身症などが回復するまでの期間は人によりけりで早ければ1か月(急性ストレス障害と同じ)で回復しだし、通常は1年間は続くとされている。わたしの親族でも夫をなくした妻が「眠れない」などの不安心理を1年間ぐらいは訴えていたが年単位で経過観察すると次第に元気を取り戻すので事なきを得るのだ。1年以上も長きにわたり喪失体験で打ちのめされると厄介で、いわゆる鬱状態になりがちだ。本作のドラマでは妻(母)の死亡後10年間も止まらない「(遺族の)喪失体験」をプロットしているので深刻な病といえよう。

出来過ぎた妻(夫)。出来のいい息子(娘)。こういった「かけがえのない人」を失うと人間はどうなってしまうのか。いままでずっと誰かに依存することで安心を得てきた我々は今後どうすればいいのか。

時代を経るにつれて核家族が失われ単身世帯(おひとりさま)が殖える日本社会という現在進行形の有り様もあるが、それでもなお一つ屋根の下に親子数名が暮らす家族・家庭にとって「食卓とは何か」といったことも含めて、このドラマは「日本人の魂」の拠り所をうまくキャッチして「ほっこり」するドラマに仕立ててある。人が死ぬという哲学めいた喪失体験のムズカシイ話になりがちだけどムズカシクしないファミリードラマとして健気で純情である。


35歳の少女 Vol.1

3点 2022-07-06
事故後に35歳で目覚めた少女の家庭の悲喜劇。


事故に遭い時が止まり、目覚めた自分がもし大人のカラダだったら、、、。というIF物語で、状況設定に驚くのは前半の放送回ぐらいで中盤にかけては事情が全部飲み込めてしまうので「中だるみ」が生じていくが、どのようにして壊れてしまった家庭関係を修復していくのかが後半部の見ものとなっていた。


採点は星三つ。

見どころとしては、10歳の少女のメンタリティを女優としてどう演技するのかといった主演の柴咲の所作であったり、厳しめの母を演じる鈴木とのやり取りも注目すべき点で、そのほか献身的なサポートの幼馴染の坂口といったあたりも注目度が高いのだが、(役柄として)どいつもこいつも弱気で頼りない。そのため糠に釘うち、暖簾に腕押しといった弱含みの展開なのだが、周囲の人間が思っていたほど頼りにできないからこそ少女が逞しく「自立」していくといった転換が図られていて、観終わってみると「遅れてきた少女の青春ビルトウィングスロマン」といった成長譚だったことが知れる。なんていうか事故うんぬんを省いてしまえば艱難辛苦を乗り越えていくキャリアウーマンの生きざまのようにさえ感じられた。


幼児退行的なヴァージンロードの場面を期待してしまったが、そこまで乙女ちっくで初々しくはなく全体として凛とした「おとなの女性」の作りを意識させるので本編内容はだいぶ「よそよそしい」対人関係で非常にドライなタッチであり、このあたりは現代日本の病理でもある「おひとり様」ブームを皮肉っているようにすら感じられる。事故のせいでこうなったと考えると作品が訴求したいエッセンスが分からなくなるかもしれない。仮にドラマで描かれるような昏睡状態にならなくても家族の離散は今では珍しくない社会問題だろう。それに加齢とともに寝てても起きても35歳なんてアっという間に辿り着く。心はまだ若いままでも自分の姿を鏡でみて愕然とすることは普通に「あるある体験」なのだ。


いろいろ考えさせられるドラマなのだが、いかんせん物語として幅広ではない。寓意として捉えても分かり切った内容であるように思えてモヤモヤや苛立ちが募る。やはり事故のせいにしてしまうという滑り出しからして発展性に乏しい。SFになりきれてもいないので「秘密のアッコちゃん」のような遊び心が足りない。母と娘のガチンコ的な女優対決が見ものだが「老け込み」が気になる。少女と題していながら沈鬱な場面が多すぎて華やぐ場面に乏しい。芝居は柴咲も上手いし坂口も上手い。脇役も真面目に打ち込んでいると知れる。だけど演技だけで場面を引っ張る。とくに柴咲と坂口の間合いには神聖な空間が出来上がっている。これひょっとしてドラマじゃなくて舞台にしたほうが「真正面で人と向き合う」掛け合いに純化できるのではないかと思う。それらしき空間表現も随所にあるので芸術性に偏ってしまったかも。



キネマの神様

3点 2022-07-06
映画制作に思いを馳せる老境を描いた松竹100周年記念作品。

「キネマの天地」とカブってしまうが本作は続編ではないだろうが時代精神や舞台が似通っている。山田洋二監督作ということで「虹をつかむ男」を彷彿せざるをえないかもしれない。いずれにしても映画バカを基軸とした映画への愛好や愛着といったものを丹精に織り込めた作品の一作であり、おそらくは「ニュー・シネマ・パラダイス」に触発されたようなところが大だが、映画(シネマ、ピクチャー)というよりも時代をだいぶ過去に巻き戻しての「キネマ馬鹿」のような往年の松竹の邦画へのオマージュであり、狭義的には松竹大船撮影所の「先輩諸氏」への記念でもあるのだろう。

志村けんが急逝したので主演が沢田研二に交替したことでも報じられたが、作品中にコロナパニックの様子だとか志村けんを悼むシーンなども垣間見られ、いささか本編内容から脱線したかに思えるフシもあるが宣伝材料としての話題性を勝ち取ったような受け止め方をすれば「転んでもたたでは起きない」といった不屈の松竹魂を綴ったキネマトグラフということか。


採点は星三つ。

可もなく不可もなくで、要所要所に松竹キネマへの熱い思いが感じられるところは感心したが、前半の貧乏劇のようなところは閉口気味で現代劇のはずだが令和でも平成でもなく時代設定が昭和期にしかみえない。飲みの席で映画談義に耽るあたりは同調できないと追随できなくなるシーンもある。撮影所近くの飲食店で事実こういう打ち上げ会があったのだろうが浮かれたり舞い上がるシーンが大仰に受け止められるのはやむなしだろう。また本作は予想外にラブロマンスがてんこ盛りとなっていて映画作りにお熱をあげているだけでなくマドンナ役として永野芽郁を配した恋愛劇のほうに熱っぽさを感じられる仕上がりになっている。



プラットフォーム

3点 2022-05-22
格差社会を皮肉った高層プラットフォームのサバイバルスリラー。


一見してカナダの「CUBE」の類似作に思えるが産地がスペインである。

スペインは若者の失業率の高さで知られた国であり格差社会が深刻なので本作にもそういった社会問題を反映しているようだ。

下層にいくにつれて・・・というのが見どころであり謎ときの要素があるのだが、いかんせんラストまで観ても鮮やかな解決とは言い難い。

シチュエーション・スリラーでもあり状況のみをゲーム世界のようなかたちで「サバイバル」として堪能するほかないのだがグロい不快な場面がある。

スペインは格差社会であるだけなく福祉政策を行ってもいるので格差と再分配問題とが「共存(共生)」するという奇妙な重なりがあるだろう。


見始めると先ず、老獪な俳優に圧倒させられるのだが、本作の主演がなんとなくイエス・キリストの風貌に思えたり、もしくはセルバンテスの作品にでてくる登場人物に思えたりもするのだが、色々考えてみるにつけ、これ一つという納得のいく分析ができず煮え切らない展開となっている。

下の人間たちは、上の人間の「おこぼれ」だけで食っているというシーンだけでいうと、これはなんだか現代社会の人種差別への皮肉であり世界的な食糧危機などを連想したくなる。リアル社会を参照すれば事実そうなのかもしれないが、それはそれとして、映画にでてくる垂直構造の建物の狙いが分かるようでいて分からないのが解せない。作中にヒントがなにもないわけでないが、後付けとしか思えない解説の話しを聞いても「だから何だ?」と首をかしげてしまう。哲学的に追求しだすと「この世がなんであるか誰も分からない」という箱庭のような認識上の宇宙像を閉鎖的に映像で綴ったことになるのかもしれないが、後半につれて「おっ」と思える意外なシーンの盛り方が少なすぎる。


採点は星三つ。

謎解きが愉しめて悩ましい格差社会をプラットフォーム化したところはプラス評価。
マイナス評価としては、イッパツ的な「穴」を狙った作品構想に思え、しかもグロさばかりが陰鬱として伝わっており、細かい居住設備の不備などがツッコミどころとして気になりだす。
サバイバルゲームの攻略法を独自に思いつくことは可能であると思うから、そこもマイナス点になりかねない危うさがある。


TOKYO MER〜走る緊急救命室〜 Vol.1

4点 2022-03-19
東京都直轄の死者ゼロを目指す陸送の救命室ドクター。TBSドラマ。


MERとはモバイル・エマージェンシー・ルームの略だというが、ちょっと一見しただけではわかりにくい題字のオリジナルコンセプト(?)で、ドラマを直接見れば嗚呼これかと合点がいく「乗り物」系であると知れた。「ER」そのものや、あるいは「ドクター・ヘリ」を取材した救命救急の類似ドラマの系譜であると知れるが、出動エリアを首都東京に絞り込み、なおかつ昨今のキャンパー(キャンプカー)ブームにも見合わせたかに思える車内「改造」が見どころとなっている。架空の設定とはいえMERのカーステッカーだとかスタッフジャンパーなどを作成して画面にあしらうことで「それらしく」リアルに演出しているところが凝っている。


ドラマを視続けて思ったことは、主演鈴木亮平の「手際の良さ」に感心してしまうということだ。鈴木はこれまでキワモノ的な仮面の作品にでてマッチョな男を堂々と演出したりもしたが鈴木はどうやら高学歴の大卒エリートらしく本作品にて彼が落ち着き払ったスゴ腕の救命医師を演じているのだが、これがなかなかインテリのキャラにおもえハマり役で良かった。そのほかMERを支える女都知事が奇跡のアラフィフこと石田ゆり子という配役であり先輩女優の貫禄をみせるなど役者がチーム一丸となって新種の救命ドクターのドラマに取り組んでいる様子が連続ドラマで撮影された。


採点は星四つ。

やや甘いかもしれないが「命最優先」という救命医療の宿願を再現してみせた意義深さがあり星三つ+追加点としたい。TOKYO MERというオリジナルコンセプトの企画がユニークでもあり毎度おなじみの病棟の病院ドラマから離れた新鮮味もある。

さらに鈴木のテキパキとした采配をふるうテンポ感の運びが職能集団の逞しさをよく伝えておりメディカル・アシストの醍醐味が伝わる。
弱点としては、架空であるなと理解しつつも「実話とは思えない豪勢な救命アシスト」がどうしても現実離れを禁じ得ない。現実の救命医療体制の不備をドラマの医療サポートの「至れり尽くせり」が色濃くしてしまう。ここまでやるか的な徹底サポートがかえって夢では叶えられない医療を裏打ちしてしまう。やがてMER存続の危機へと向かうにつれて内輪揉めの組織論へと収れんしてしまうので少々いただけない旧態依然のドラマの流れが感じられるのもマイナス評価となるだろう。





エジソンズ・ゲーム

2点 2021-12-04
発明王エジソンの「電流戦争」を再現した電気(伝記)映画。



交流か直流か。二コラ・テスラとエジソンの師弟対決ともいえる物語だが、いわゆる「電流戦争」を再現したとみえる。

しかしながら冗長なつくりで頭にスッと入らない。脚本が悪いのか見せかたが下手なのか。あらすじを頭のなかに抱いていても流れとして見えてこない。

おそらくこれは駄作の類いだろうと感じた。


それはそれとして、エジソンといえば発明王だが個人的にはこの男はサイコパスではないかと疑ってしまう。
エジソンが直流にこだわるあまりゾウ(馬?)をも焼き殺すという逸話が残されていて、これがあの悪名高き電気椅子の発明へとつながるわけだが、はたしてエジソンがどれほど心を痛めたかは疑問である。本作のなかのエジソンはカッコよく映っていて心優しき紳士である。米国のGE社の前身となった会社を自ら起業した立身伝の持ち主なのだが、なにか人物像として煮え切らない。映画はエジソンの実像というわけではなく巷にあふれる「発明王エジソンさん」のイメージキャラを良好に投映したのだろうけどイマイチ納得のいく実像へと至らない。もっとも日本のエヂソンこと松下翁とて実像を伝えている映像作品なんてあったかな?という感じだ。カリスマ化されてしまうと等身大の「ただのひと」が見えにくいということか。


だからといってテスラのほうが人間味があるとか交流を支持したテスラの優位性を説くのは安直だろう。エジソンが発明した偉大な文明の利器たちは電球や蓄音機(エジソン式)などを一つ一つ持ち出すまでもなく、やはり彼の功績であると認めざるをえず天才の名を欲しいままにしたわけだ。

本作ではテスラよりもむしろウェスティングハウスの出番が目立つ。この実業家の男がエジソンのライバル役として立ちはだかっているのだが、描かれ方がエジソン寄りのせいか、ウェスティングハウスが黒幕の悪役でテスラは子分というかなんというか、いまいち存在感が薄い。

採点は星二つ。

あまり面白くない。
ビジネス戦争よりも心理描写に偏りすぎたところなんかも文芸作品を見せられている下手くそなダラダラしたムードである。
「電流戦争」をまったく知らない人がみたら初物としての驚きがあるかもしれないが、これはあくまでも映画で詳細はエジソンやテスラの軌跡を綴ったドキュメンタリー作品に譲るだろう。映画だとしても、もうすこし詳細を時系列できちんと追い込めば化けたかもしれないが、なんだか地味で話題性もなく、ええかっこしいの紳士のエジソンばかりでキャラ設定などに嫌気がさした。





ヲタクに恋は難しい

2点 2021-08-26
自身ヲタクであることにコンプレックスを抱くOLの恋愛悲喜劇。

ヲタク男女が出会うが主演はOLを演じる高畑充希。ヲタク女子であるが会社同僚に知られる(オタバレする)のを恐れるという役。
本作はコミック原作だが原点はSNS上の投稿漫画である。いうなればネットが生み出したネトコミのオタ色を兼ね備えている。

採点はやや難ありで星二つ。

主演の高畑が必死に愛嬌ある「オタ女子」を演じるも空転気味。高畑の女優ベンチマークが計測できるため芝居上手であることは窺い知れるが女優の頑張りや食らいつきに比べると本編内容がともなわない。全般的に作風が軽薄のノリのせいか主演が真面目に役になりきろうとして頑張りすぎると逆に浮いてしまうようだ。可愛めならいいという観方もあるだろうが、それはそれとしても作品評価の全体としては納得しきれない。キャラ立ちにしても良し悪しが分からない。
この作品がコミケ等を舞台としたオタ色であり、いわゆる「お宅」ブームの末裔であることはわかるが、お宅が話題になる以前からおたくっぽかった私(?)に言わせると「今更感」がすごく漂う。タイムリーな作品とは思えず「ああまたこういうやつか」というヲタク人口層への大衆迎合的な後付けの便乗感が漂う。

それに、いつの頃からかヲタクたちはアキバ系などと呼ばれるようになり、昔では考えられないほど市民権を得るようになった。必ずしも二ッチな異常な人種とは呼べなくなっている。嫌悪感を含んだ侮蔑的な攻撃対象とはならず、今ではどちらかというと若い世代の間では「憧れ」の対象でもあるという。

彼氏や彼女がなにかしらの「ナニナニおたく」であることはさほど珍しくない。ネトゲが切っ掛けで結婚にいたるカップルもいるのである。いまおもえば昭和期にも「変わった趣味をお持ち」の若い人たちがいたし、見合いの席ではいちおう「趣味は読書です」とか「普段は音楽鑑賞をしております」とかなんとか知的で常識的で清楚な人さまに恥ずかしくない自分を見繕うのだが、帰宅すると自室にて訳の分からん隠れた秘め事に明け暮れるオモテウラのある連中が昔からいたのである。

本作では訳の分からない「ヲタク用語」が早口で飛びかい、ときおり画面にダーっとニコ動のように用語がフラッシュで流れてフライングしまくるのだが、どうやらこれが恋愛の「妨げになる」という主張のようである。

本作の最大の特長といえるのが、恋愛対象がお互い「ヲタク」であるという奇跡的な、思わせぶりな、だからこそ人気化したというご都合主義的なマッチングである。これがおそらく先ほどの「妨げ」を取り払うアンチテーゼである。
長所なのかもしれないが、このような鉢合わせは昔からお見合いの席でよくある「共通する趣味を持つ」ということでしかないのではないか。
ヲタクらにしてみれば一つの「理想形態」であるし、相手が恋愛対象とは限らず、交遊相手として面白そうだ、親交が発展すれば協力して何かがやれそうだというような仲間意識の向上が見受けられる。

このように考えていくと、本質的にこの映画は、たとえば「仕事人間には恋は難しい」とか「職人肌には恋は難しい」といった仕様変更の指摘でも成り立つはずだから、日本人ならではソロプレーヤーの孤独な「おひとりさま」の境遇への現代的な皮肉が込められていると知れる。

これを打開するには、お互い共通の趣味として「仕事」を持ち直すとか、職人同士で和気あいあいとする社交場の作戦が有効である。

原作者がデザイン専門学生の様子を見聞きしてヲタクたちの生態に興味を抱いたわけだが、デザイン的な創作はまさに「ヲタであることが仕事みたいなもの」だから、なにかを作ることが愉しみな仲間にとってはヲタク活動が実益の仕事と無益の趣味を兼ねた「クリエイティブ」の社交場なのである。

エリカ38

3点 2021-08-26
金と男に溺れる女詐欺師の顛末記。

樹木希林の企画作であり最晩年にして初となる実話ものの犯罪ドラマ。
主演は樹木との親交が厚い浅田美代子で45年ぶりの登壇である。

本作では逝去した樹木が母親役として登場している。得意の老婆役であり控え目な脇の役としてオフの時のように何か持論等をとやかく言うわけではない静かな役回りである。けれども樹木が「言わんとしている」ことが込み上げてくるかのような主義主張を内に秘めた存在感がある。卓越した芝居で「本望」として成し遂げているようであった。とりわけ別れ際のシーンは「仕草で伝える」名場面だ。ほんの僅かな撮影時間なのに「あらゆる仕草や意図を詰め込んだ」という隙のなさだ。彼女が終始こだわった着るもの一つにしても「無駄のない」あますところなく全部を使い切るという合理的な如才なさが企画(アイディア)のワンシーンとして結集している。樹木希林という女優でさえ自分自身を生涯現役女優として完全に続投して使い倒す完全燃焼のこだわりぶりだ。

本作は「つなぎ融資の女王」と呼ばれる38歳の若作りの年増がでてくる。総額20億を超える巨額詐欺だという。なんでまた出資しちゃうかな?と思うのだが「男にモテモテ」で自然と金が集まるらしい。若い時の写真は美人だと評判である。女の魅力は「若さだけとは限らない」という教訓か。

兎に角いい歳こいてファッションが世間の度肝を抜いたTVの事件報道で話題となった聖子ちゃんカットの「あの女」を再現している。還暦を過ぎているがホスト狂いや愛人を囲い込むなどの乱痴気に突き進んだあげく大金を使い込んで出資者を泣かして金と性を自由奔放に満喫した「謎の女」でもあるだろう。映画化に際してはあの独特な、というよりも時代遅れとしかおもえない80年代風アイドル服装が再現されておらず、浅田の服が「ふつう」になっている。どうやら衣装ではなく自前の服らしくて垢抜けていない。男にモテモテだったという熊本の聖子ちゃんの異名のよさを伝えていない。ただし浅田は元アイドル歌手だからアイドル的な若気の雰囲気は今でも造形としてある。


実在した出資金詐欺を働いた女をモチーフとしているが作品を公開するにあたっては具体的な事件には明言しておらず、おおむね実話ものといえるが部分変更が見受けられる。たとえば自称「エリカ」は実際には「エリコ」と名乗っていたという違いがある。このあたりの違いは本質的差異とは言い難いかもしれないが、詐欺に騙されて金が戻らず泣かされた者は総勢100名を超えたようだが被害者の大部分が男性であったのだが映画では女性の被害者がだいぶ目立つので実話とはやや食い違う男女比率の混成場面も見受けられる。

実際の「被害者の声」として女性の肉声が起用されているシーンがあるから聞き漏らさずに注目されたい。男性ではなく女性の声をあえて持ち出すことになにか意図があるはずだ。映画は浅田を筆頭に実力のある女優勢(女性勢)が目白押し。撮影後まもなくして逝去したのは企画者の樹木だけでなく木内みどりも含まれる。木内の芝居も堂々たる貫禄があり名女優の久しぶりの登壇であり伊達じゃないなと気づかせる。


本作は徹底的に「女の本性」に迫ろうとしている。男性(男優)も活躍するのだが女優陣に重きを置いている。作品全体が女の主義主張による「生き様」で貫き通されている。このあたりはおそらく樹木特有の「女性優位のフェミニズム」ではなかろうかと思うのだが筆者の穿った観方だろうか。周知のとおり樹木は私生活で夫の内田氏とだいぶ揉めてやりあっており長年に渡り「男」に対して因縁めいたところがあった。なにせ妻についての印象を問われると夫の第一声が「こわい」である。修羅場をくぐりぬけたきた樹木本人のテレビの密着取材が印象的であった。私生活の詮索は本編とは直接関わりがないから余計なことかもしれないが印象に残ったのでどうしても書き添えておきたい。


採点は星三つ。

この映画には本物女優の本物演技が惜しげもなく投入されている。芝居十分でまとまりはよいが古臭いテイストが玉に瑕である。企画者が昭和期を駆け抜けた老賢者であるということからして昭和の忘れ形見である。映す時代は平成なんだけど「昭和の女たち」の情念だとか生計苦のようなものが鍋料理のごとく画面に煮込まれている。「老いへの負い目」とそれへの「反逆」のような若作りの精神がふんだんに盛り込まれてもいる。

実話ベースということもあり事件性については興味深くはある。けれども娯楽作品としてユニークとは言い難い。アッといわせる展開もない。だらだらと怠惰なカネと男にまつわる私情が流されて映される。こういった類いだと興味を抱いて作品を手に取って観る人物を選んでしまうので万人受けはしないだろうというところも気にかかる。

アルプススタンドのはしの方

2点 2021-08-18
アルプススタンドのはしの方での長話。


母校を応援しに来た高校生四人組が「端っこ」のほうでダベリまくるという甲子園が舞台。

野球の様子は映らずアルプススタンドに特化するというカメラ回しをどう観るかだが、これは居心地がいいのは最初のほうだけで視野が狭いとしか言いようがなく、ときおりスタンド近辺からカメラが別の場所へ離脱するが、また元の定位置に戻るため、あくまでも観戦するスタンド側を撮り続けるという高校野球の話となっていた。

とにかく高校生たちがずっと喋りつづけ、ときおり別の者がシャシャリ出てきたりするのだが、とりとめもない長話にはさすがに後半にかけて嫌気がさしはじめる。

青春って何だろう?という話題も飛び出すのだが「あんたたちの好きにしてください」としか思えなかった。


これを見て何を感じろというのか。やはり青春か??

でも青春=甲子園みたいなノリは昔であって、本編内容からしても相当に「ハズシ」ている脱力系のノリに思えたし、アルプススタンドという「言い回し」からしてオジン臭いと思うのは、わたしだけ?


全般的にいって甲子園の昔過ぎる熱闘のノリを「おちょっくてる」現代っ子のハズシたところを近接撮影したという気もするから、素直に高校野球を楽しんでいるわけではなくてアンチ的な「裏話」のようなものだろう。


甲子園は完全に昔話ってわけでもなく今だって存続していますし熱闘甲子園なんでしょうけど、甲子園だとか五輪に「燃える」というのが昭和期の忘れ形見に思えてしまう私としては「まだあったかこういう話し」という感じで懐かしくもあり気恥ずかしくもあり、好きな方はどうぞ好きにしてやってくださいといった、ある種の「スタンドプレー」に思えてしまう。



採点はまさかの星二つ。



はしの方ということで、採点もそれにあわせて悪いほうの「はしの方」に偏った。残念な戦績だが、それもまた青春の一ページってことで星二つぐらいが現実的に妥当かと思われた。

こういうのが好い、なんか「間」の雰囲気とかが気に入ったという人もいそうだが、なんとも間抜けな映画が出来上がったなという個人的感想が強い。これはあくまでも個人的な感想なので気にしないでほしい。

台詞が結構長いから「よくスラスラ言えたな」というご苦労な感じもするし、スタンドから球場(カメラ側)を見つめる目線をいいことに台詞のカンペでてるのか?という疑惑もあるし、でてないよ!憶えたよ!ということかもしれないが、いずれにしても会話の内容がどうでもよかったりして(笑)、そもそもこれは劇場化する作品に相応しいのだろうか。この程度ならテレビドラマの深夜枠でもよくね?と思ったんだが、どうして映画化しちゃったのか。演劇関係の組織票が入ったか?

「はしの方」というのが何とも控え目で日本人色が感じられるが、端っこだけに、なんともショボい画作りである。
密室ものとして濃密な推理劇のような知的な会話が聞けるかというと、そういうのでもなくて、ただウチラを「ふつーに撮ったヨ」といった女子中心の学校行事の展開に締まりのなさを感じてしまった。

球児たちは男子中心のはずだが球場が映らないので勇ましさは映らない。スタンドにおいては女子中心でブラスバンドを吹奏し声援を送るというのは、いうなれば男子と女子のあの懐かしき「昭和期の性差の役割分担」なのだが、本作は男子も登場するが基本「女子中心」であり、しかもあの高校野球の聖地である甲子園を撮り直そうという魂胆であり、その作品の実態としては女子中心のあの高校演劇部の再来という気もした。

高校女子たちがブラスバンドを形成するあたりは、なんとなく「スウィングガールズ」を連想してしまったりもして、確かに新世代の青春映画のつくりであり、わたしの見立てでは近年流行りの「部活動映画」の系譜になる。


構成や狙い、映した内容もよく分かるのだが、どうしても固定されたカメラの「視野の狭さ」が気になる。

視ていて空間的に窮屈だというのが何もかも台無しにしている。

会話で押してくるから、丹念に耳を傾ければ一応は狭さのなかから「吸い取れる」ものがあると知れて、そこは救いなのだが全体の窮屈感を覆すにはいたらない。

シグナル100

3点 2021-08-18
クラス全員が謎の催眠に襲われるデスゲーム映画。


バトロワ以降のクラスメイトを全員血祭にあげるという曰く付きの悪趣味の系譜に属するようだが、バトロワは原作が小説だがシグナル100の原作は漫画であるという違いがある。

かなり「痛い」場面が続くため視るひと(耐えられるひと)が限られてしまうかもしれない。

とくに前半付近は痛みが増しているが後半はそんなには痛々しくはない。慣れてきて麻痺したせいもあるが。


シグナルは全部で100あるというが個々の定義が「あいまい」である。

たとえば主演の橋本環奈が泣く場面にしても、これは泣いていないのか?という不思議なことになっていて、シグナルが発動しないことが事実上のシグナルから除外されるという定義になるというルール設定に不満がでてしまう。

「泣く」もそうだが「浴びる」も定義があいまいである。


たとえば言葉を変えて「涙を流す」とか「皮膚に特定の飲料物が触れる」などにすれば厳密さが増すはずだが、ただ泣くとか浴びるとか、そのほかの形容の仕方では「幅広」すぎて具体例がなければ事前に了承しかねる。他人に暴力をふるうにしても、それは言説による暴力を含むのか?と私は感じたが、ここもやはり例外を避けるために「肉体的な傷害」と明確にしないといけない。少なくともクラスメイトで話し合いをして妥当なシグナルの定義を線引きするといった知恵を振り絞る場面があってもよかったのではないか。


結局こういった配慮が感じられずシグナルの設定が杜撰である。

このあたりのルールの作り込みついては「人狼ゲーム」のほうが抜かりなくプレーヤーの「逃げ道」を封じていた。つまりルールハックをできなくするということにおいてデスゲーム世界のリアリティを現実に落とし込むわけである。「シグナル100」は、そもそも自殺催眠にかなり無理があり、いちおうの説明が付加されてはいるのだが、創作とはいえ催眠の実効性に疑問がでてしまう。



採点は星三つ。

漫画は全四巻におよぶ連作。かたや映画版は88分という時間制限がある。短いつくりになっていて原作とは異なる展開である。たとえば映画版には校長や校長の妻は一切映らない。映画を観ただけでは何故担任(中村)がこのような特殊なシグナルを生み出せたのかが皆目わからない。けれども原作では担任の過去の経歴が明かされている。


観る側が百歩譲り、もしもこのような恐るべきシグナルに取り込まれてしまったなら?という前提で許容していかないと、ゲームがゲームでなくなり、仕方なく役者の芝居ばかりを造作として論じたくなるシーンの連続になっている。

クラスメイトを演じる若手らが迫真の死に方で健闘しているので妙に感心しながら見入ってしまうから、余計に「いまの死に方」について一人一人の芝居を寸評したくなる。

けれども本来ならばゲームの枠組みだけでも結構「見させてくれる」話しの構成にならないといけない。生徒役たちが「頑張って芝居して死んでくれる」というのを好評しても、ゾンビ映画じゃないんだからそれには限界がある。


総じて、まったく見られない作品ではなかった。この作品はゲーム自体は「そこそこ」のアイディアの新企画だが、かといって何かものすごくスリルのある興味深いネタがテンコ盛りというわけではなく、デスゲームの系列として「出尽くし感」が感じられてしまうなかでのシナリオの練り上げだと思う。それこそコミック原作の「よくある映画化の一作」という誹りも思い浮かんでしまうし、映画化に際しては長さ的な辛さもあるため、後半がきびしくなるから巻きを短くしたいがゆえに駆け足でクラスメイトの大量粛清が始まるあたりは見苦しい感じも受ける。


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ぽすれん
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