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硫黄島からの手紙*思わず張さんも”あっぱれ”を出すクリントの凄さ 米保守党支持者のクリントが描く太平洋戦争はどんなものなのか?保守的思想が出てアメリカ礼賛みたいなものになるんだろーか、そんな事を観る前に思っていまし…(続きを読む)*思わず張さんも”あっぱれ”を出すクリントの凄さ
米保守党支持者のクリントが描く太平洋戦争はどんなものなのか?保守的思想が出てアメリカ礼賛みたいなものになるんだろーか、そんな事を観る前に思っていましたがそんな心配は杞憂だった。さすがクリント!映画人として堂々とがっぷり四つで組んで撮ったという感じです。重厚感のある演出、映像とあいまって戦争映画として上出来です。国の違いを超えて戦争の愚かしさを感じるのは人間として一緒なんでしょう。この話は日本軍中心ですから日本の兵隊さんを中心に軍国主義に翻弄された彼らの苦悩をきちんと描いていました。
ひとつ気になったのが映画開始から兵隊達は戦地に赴いて戦争に「勝とう」なんてひとっつも思っていない。そんな希望も持たず、自分たちは死にに硫黄島に着ているんだとはっきり台詞にして語らせています。兵士達は鼻っから死刑執行を待つ被告人のように設定されています。こんな演出が映画に重いリアル感を与えていますが、こういう設定ってまず日本資本の日本映画ではまず創れないだろうなとは感じました。 -
家族ゲーム*現代家族の病巣を痛快に笑いとばすブラック・コメディ 見にくいかもしれませんがジャケ写を目をこらしてみてください。両端の沼田家の4人は申し訳無さそうに下へ目を落としていますが中央の松田優作扮する家…(続きを読む)*現代家族の病巣を痛快に笑いとばすブラック・コメディ
見にくいかもしれませんがジャケ写を目をこらしてみてください。両端の沼田家の4人は申し訳無さそうに下へ目を落としていますが中央の松田優作扮する家庭教師吉本は正面に目を見据え、ふてぶてしく唇を突き出しています。この目線及び態度は映画中のそれぞれを端的に表しているかもしれません。
典型的な中流家庭の沼田家にとっては子息の受験は一大事です。それをなによりも優先事項にするため、家族の皆はやりたいことは後回しにし、本当の自分を家庭でさらけ出すことはありません。本来、家庭というのは家族にとっては唯一の心の拠り所となる場所であるはずナノニ・・・です。当事者の子供は別に有り難くもない両親の熱烈なサポートを得て、”両親に求められる”進路へと向かってゆくのです。こういう個々の心がバラバラになった状況で家族を最後に結びつけるモノは・・・それは個々が各々の役割を”演じて”みせてかろうじて家族の態を成しているのです。こうした劇場型家族のシュールな面白さの描写が映画の根幹になっています。日本に今も尚、よく見られる「右へ倣え型家族」を森田監督は徹底的に笑い飛ばそうとして、監督の意を汲んだ装置として家庭教師吉本が現れます。この吉本がいびつな状態になった沼田家をかき乱す様子はなかなか壮快です。この吉本のかき乱しによって家族がどうなるかは・・・・観てのお楽しみです。観た後に残るのは森田監督の社会の風潮に対する冷ややかな嘲笑の眼差しと松田優作のアウトローで正体不明な男を演じる怪演が印象的でした。 -
ディア・ドクター*新たな鶴瓶伝説か? スクリーン上の虚像が、演じている役者自身に重なり合う時、観客はスクリーンに引き込まれてゆきます。(『レスラー』のミッキー・ロークや『アカシア』の猪木なんかがそうでしょう。)こ…(続きを読む)*新たな鶴瓶伝説か?
スクリーン上の虚像が、演じている役者自身に重なり合う時、観客はスクリーンに引き込まれてゆきます。(『レスラー』のミッキー・ロークや『アカシア』の猪木なんかがそうでしょう。)
この監督は『蛇イチゴ』以来、自らを偽らないと生きてゆけない弱い人間とそのような人間を生み出す環境をドラマチックに描いていますが、今作も大雑把に言えばそのような話です。
そういうストーリーにおいて主人公の鶴瓶師匠のキャスティングはいいと思いました。 何故なら鶴瓶という人は(関西在住者なら古くからご存知だと思うが)鶴瓶伝説(a.k.a いい人伝説)というものに脚色され、実像とブラウン管に映る像とが違う事をネタにされて広く知られているので、この主人公の医者の持つ虚像が一人歩きする事の恐ろしさや葛藤を皮膚感覚で分かっている。そう期待されて抜擢されたと思うからです。(西川監督は大学時代を関西で過ごし、且つテレビ業界出身なので鶴瓶伝説を知る機会はある筈です。)
現にスクリーン上の鶴瓶は伝説よろしくの作り笑顔を振りまいていますし、老人に優しく微笑みながら問診する時に顔を出す眼鏡の奥の笑っていない眼はこれが本当の悪瓶ェ(ワルベェ)だと思わせるような不気味さが漂います。(他にも主人公が地元の酒席で酔狂に乗じて有名な鶴瓶ダンスもどきの踊りをするシーンがあったりする。)
こうして鶴瓶イコール主人公目線で話を観ていた私はすっかり引き込まれていたのですが、結末はしごくあっさりしたもので淡々と終わる結末でした。『ゆれる』では香川照之に主人公の持つ心の闇を生々しく吐露させてそれが一種のカタルシスとなり物語として最高のものになっていたのですが、今作では主人公の心の闇を見せずじまいでがっかりさせられました。
これには原作との関係もあるのでしょうが、私が期待したのは主人公が持つ心の闇をゲロることによるカタルシスなのであって、その演技を鶴瓶にさせて駿河学(師匠の本名)の心の叫びを聴きたかった。(TVで見せる鶴瓶伝説の心の叫びは味があっていいのです。)
それに主人公が複雑な事情があると思わせておく事がフリで心情の吐露がオチだとしたら『ゆれる』ではこの公式は成立していましたが今作ではその式は成立せず、ファジーなままおしまいという感じで消化不良感は否めません。(そういう意味では『蛇イチゴ』に近いかもしれません。)
こんな見方をしたのは私だけかもしれませんが、『ゆれる』で観客の心を“ゆさぶ”り、求められるハードルが上がってしまった監督には申し訳ないですけど今作は凡作だと断じたいのです。厳しい評価をしたのは同世代の人間としてまだまだ期待したい期待の裏返しでもあります。
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世界名作映画全集 21 バルカン超特急主人公が車中で乗り合わせた老婦人がいきなり“消えて”しまう。この失踪人捜索劇が車中で行われるサスペンスだ。探し始めると周りの乗客達は「そんな人知らない」の一点張り。だが、どうも怪しいし、何ーんかあり…(続きを読む)主人公が車中で乗り合わせた老婦人がいきなり“消えて”しまう。この失踪人捜索劇が車中で行われるサスペンスだ。
探し始めると周りの乗客達は「そんな人知らない」の一点張り。だが、どうも怪しいし、何ーんかありそうだ、と思いながらも捜索を続けてると事態は単なる人探しから
戦局をめぐる国家間の機密戦争の様相を呈してくる。それと同時に先程までの怪しい人々の面が割れてくる・・・・・・
車中という限られたスペースで繰り広げられる捜索劇が黒煙を吹き上げ疾走する列車の如くテンポよく展開され、また同乗客の抱える各々の事情がユーモアになり捜査の進展に関わってくる。そこに主人公の恋模様が併せて展開される、まさにヒッチコック劇場ともいうべきドラマです。
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