第三夫人と髪飾り
19世紀のベトナムの…
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19世紀のベトナムの大地主の家を舞台にした物語。先ず農村風景が限りなく美しい。まるで紗の薄膜を通して見ているよう……それに、アオザイを着た人々は殆どすべてが痩身。アオザイは身分によっては美しい絹。人々の日常は穏やかでやさしい。大地主の第三夫人のストーリーがメインで、幼い少女が男子を生むことを期待されていながら娘を生む、それだけのことなんだけど……家中を取り仕切る年配の第一夫人の美しいこと。その息子の結婚が悲劇に終わる話がサイドのストーリーなんだけど、こちらの方が強烈な印象を残す。恋人がいながら無理やり結婚させられた相手は幼い少女。その少女が新郎に手を付けられないまま自殺する哀しい話なんだけど、少女のあどけなく初々しいが微妙に美しくはないところが役にピッタリ。耽美的なシーンも随所に織り込まれていて……ベトナムは中国文化の亜流には違いないけど、庶民に至るまで清潔で品があるところが中国とは違う。
2点
光をくれた人
突っ込みどころ満載。この作品の脚本家は脚本家が一番やってはいけないことをやっている。設定した筋書きに沿って登場人物を人形のように動かしている。相当無理がある気持ち、心の動きをパッチワークのようにつなぎ…(
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突っ込みどころ満載。この作品の脚本家は脚本家が一番やってはいけないことをやっている。設定した筋書きに沿って登場人物を人形のように動かしている。相当無理がある気持ち、心の動きをパッチワークのようにつなぎ合わせてラストまで話を運んでる。不自然過ぎてあれよあれよと思う間にストーリーは最後まで展開する。主人公夫婦が遭難ボートを発見してからのことだ。それまでは結構期待を持たせる作りだったのに……
1点
とらわれて夏
脚本家のご都合主義と下手糞さ加減が不愉快で、途中下車。囚われの身になるまで、逃げるチャンスはいくらでもあるのに、まるで捕えてくださいと言わんばかりの行動……それから、囚われてから心を通わせ始めましたと…(
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脚本家のご都合主義と下手糞さ加減が不愉快で、途中下車。囚われの身になるまで、逃げるチャンスはいくらでもあるのに、まるで捕えてくださいと言わんばかりの行動……それから、囚われてから心を通わせ始めましたと言いたいのだろうが、何でそんなに易々と心を開くの? まるで娼婦が脚を開くように……そのように事を運びたいなら、有無を言わせぬやり方、納得の行くやり方というものがあるだろうに……ウソケンだから、そういうことにしておいてください、などと甘えてはいけません。観客として無茶を言うつもりはない。もう少し自然に事を運んでほしいと思うだけです。
4点
ルルドの泉で
キリスト教関係の映画になると、途端に日本人のコメントがトンチンカンになるという印象がある。キリスト教というだけで恐れ入ってしまって、恐る恐る遠巻きにしてしまうようだ。この映画も、日本人のしなやかな川柳…(
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キリスト教関係の映画になると、途端に日本人のコメントがトンチンカンになるという印象がある。キリスト教というだけで恐れ入ってしまって、恐る恐る遠巻きにしてしまうようだ。この映画も、日本人のしなやかな川柳感覚で観れば何てことないのに……奇蹟が起こったと思ってるらしいクリスチーヌの診断に立ち会った医師の言う「多発性硬化症です」「強化と寛解の段階がある」とのコメントは、要するに、病気のサイクルの良い時に巡り合っただけのこと、という意味で、奇蹟は長続きしないという別のシーンでの言い方と軌を一にする。監督は終始抑えた表現をとっていて、それがみなさんをミスリードしているようだが、主張をむき出しにしているところも数少ないがある。神父を含む主催者側の人たちの内輪のジョーク:「精霊とイエス、聖母マリアが休暇プランを検討中だ」「精霊がベツレヘムを推すと、あそこは何回も行ったとイエス」「精霊は次にエルサレムを提案した」「あそこも何回も行ったとイエス」「精霊は暫し考え思いつく”ルルドだ!”」「聖母マリアも大賛成さ、”あそこは初めてよ!」いつも仕切りたがる先輩格の修道女が倒れる場面はもっと露骨だ。鬘が脱げて無残な半禿頭(ツルツルより強烈)が露出する……この発想、女ならではの底意地の悪さだ。
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